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無になる時間

ふでともかきかた教室 美しが丘西の志方和蓮と申します。

今日は私自身の「無になる時間」について考えてみたいと思います。

振り返ってみると、これまでの半生で暇な時間を過ごすという経験を殆どしたことがないということに最近気づきました。どちらかといえば普段から慌ただしくするよりもゆったりとした時間の使い方を好みますが、なぜかいつもやる事が山ほどありました。

常に何かに興味をもっていたり、何らかの目標に向かっていたり、目の前の人と向き合っていたりと、その分充実した時も多くありましたが、一方で課題も多く堂々巡りの悩みやストレスを抱えている時間も長かったように思います。

そんななかで、私にとっての「無になる時間」=「リラックスしながらも何かに没頭する時間」を作ることは心身ともにたいへん大切なプロセスになっています。これまで色々と試しましたが、この「無になる時間」で最も長い連続した集中は、書道作品に向かう2時間でした。実際にはこれ以上の時間でも集中はできますが、足腰に痺れを感じ始めるのがちょうど2時間ほどです。音楽や映画などもたいへん好きで、時に夢中にはなりますが、感情移入しやすいため感情の起伏があり完全にリラックスはしませんでした。ヨガやカウンセリングも心の解放にはなりましたが、終始余計なことが頭を巡ってしまい完全なリラックスには至りませんでした。

また、私にとって好きな絵を書くのは書写と似ていてリラックスと集中が同時にできますが、30分以上は続けることができませんでした。

では、なぜ書道作品の制作や書写なら2時間でも集中することができるのか。これは一般的なことではなく私個人にのみ当てはまることなのかもしれませんが、異なるふたつのことを私の脳が好んでいるのかもしれません。

ひとつには気持ちよくリラックスしたいが、もうひとつは適度な緊張感も味わいたい。時間をゆったりと使いたいが、暇つぶしには使いたくない。書く事そのものを楽しみたいが、書く技能も向上させたい。作品の細部にこだわりながら、全体を俯瞰もする。書という実用性の高いものを、芸術にも昇華させたい…等々、あげ始めたらキリがないですが、書というのは奥深く普遍的で美しくもあり、書く人も読む人をも惹きつける、不思議な力があるのではないかと思うのです。とりとめもないつぶやきを最後まで読んでくださりありがとうございます。 ふでともかきかた教室 美しが丘西 志方和蓮